バッシングをどう扱うか

バッシングは
辛いものです

テレビで一度
取り上げられ始めると

企業であれば
死活問題は免れません

食中毒事件のあった
雪印乳業の
不買運動

居眠り事故のあった
夜行バスの
利用離れ

当時は
大打撃でしたが

今やすっかり忘れ去られ

雪印食品も
夜行バスも

元通りです

事件や事故の後
二度と同じようなことを
起こさないために

現場では
改善策がなされているはずですが
その過程は見えていないもの

おそらく良くなっているだろう
と言う根拠のない信頼のもと

人は
事件や事故の記憶とともに
バッシングしていた
バッシングされていた記憶も
忘れてしまうものなのでしょう

人の記憶なんて
あやふやなもので
時が経てば元通りになったり
何事もなかったかのように
振る舞うもの

いま話題になって
叩かれている
あの人やあの話題も
時が経てば
何事もなかったかのように
なるのであれば

そのような
一時的な出来事に対して

一緒になって
バッシングすることは
無駄だと思いますし

それに加担している
メディアの動きにも
辟易するものがあります